イントロ:みんなの現実

まず、私たちの現実に目を向けてみましょう。私たちの社会は、いくつもので構成されています。家族の輪や近所の輪。学校の輪や職場の輪。人は誰しも、こうした輪を意識して生きています。輪のにいるのは誰か、外にいるのは誰か。あの輪に入れるか、この輪にずっといられるか。そんなことを考えて悩んだことはありませんか。輪の中が平和とは限りません。あえてどの輪にも入らない、という人もいるでしょう。

あなたはどうでしょうか。心から安心できる輪はありますか。本当は入りたいと思っている輪がありますか。逆に、出たくてたまらない輪の中にいますか。聖書は、このような現実に生きる私たちに、何を語っているのでしょうか。

第1回:みんなの現実

『myうちそとバイブルスタディ』(聖書の学び会)へようこそ!

肩の力を抜いて、リラックスして聖書の世界に飛び込みましょう!バイブルスタディの質問には、「正解」があるとは限りません。何でも思ったことを自由に発言してください。参加者の面白い意見が、バイブルスタディを楽しくします! また、いつでも質問してください。では、さっそく始めましょう!

はじめの質問

  1. あなたはどのような「輪」に属していますか。(複数回答可)
  2. あなたは「輪」を意識していますか。冊子に書いてある「悩み」は一般的なものでしょうか。
  3. あなたには、安心できる輪、入りたい輪、抜け出したい輪がありますか。

聖書は、私たちが本当に、永遠に、ずっと「うち」にいられる場所があると言っています。冊子の表紙に引用されていた聖書のことばを見てみましょう。

まことに 私のいのちの日の限り
いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
私はいつまでも 主の家に住まいます。

旧約聖書・詩篇23篇6節

「主の家」とは、神のいるところです。安全で、私たちが全面的に受け入れられる場所です。

  • この詩篇を書いた人は、主の家をどのように描写していますか。
  • あなたにとって、「主の家」の内側は魅力的ですか。どこが魅力的でしょうか。

 
冊子を読まれた方は、6ページにイエス・キリストが登場しましたね。聖書の他の箇所で、イエスは「神の家を治めることに忠実でした」とあります。イエスが家の鍵を持っており、門の開閉に責任を持ち、家にいる者を安全に守ります。それはイエスが「御子」だからであり、神が「御父」だからです。このバイブルスタディでは、聖書が神とイエスについて何と言っているか、見ていきます。

次に、十字架につけられる前夜のイエスのことばを見てみましょう。弟子に語ったことばです。弟子の中には、トマスという名の男性もいました。

1あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。2わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。4わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」5トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」

新約聖書・ヨハネの福音書14章1節〜6節
  • このときなぜ、弟子たちは心を騒がせていたと思いますか。
  • イエスは何をしに行くと言っていますか。
  • 人は、どうすれば「父の家」への道を知ることができますか。
  • 「父の家」について、この聖書の箇所から他にどんなことがわかりますか。

おわりの質問

  1. 神の家のような「うち」の場所についてどう思いますか。
  2. 神の家について、他にどんなことを知りたいですか。

脚注

 [1] 新約聖書・へブル人への手紙3章6節を参照のこと。イエスが鍵を持っているというのは、同・ヨハネの黙示録3章7節によるものです。ここで言われている「ダビデの鍵」は旧約聖書のイザヤ書22章22節の預言に基づいています。「ダビデの鍵」を持つイエスには、この世界の王であられる神に代わって、誰を神の家の内に入れ、誰を神の家の外に留めておくかを決める権威があります。家にいる者が安全なのは、旧約聖書のエレミヤ書23章6節に、メシアの守りのもと、民が安らかに住むことが預言されているからです。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

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