教会

イエスを信じた人が招き入れられる神との新しい関係(内の交わり)は、神と自分だけの個人的なものではありません。信仰者は新しい家族、新しい共同体(輪)に迎え入れられます。これが教会です。

教会に行ったことはありますか。教会には、この世の他の輪では味わえないような暖かみがあるかもしれません。それは、神の大きな愛と赦しを体験した人たちが、互いの間でもその愛と赦しを実践しようとしているからかもしれません。実際、これが「内の交わり」の醍醐味であり、祝福です。

信仰者(クリスチャン)はこの祝福を「外」にもたらすように命じられています。エデンの園を地球の隅々にまで広げる計画は、教会によって再び始まったのです。いつか、「内の交わり」への招きが、地の果てにまで届きます。その日には、どのような未来が待っているのでしょうか。

第9回:教会

はじめの質問

  • 教会にいるのはどんな人たちだと思いますか。どうしてそう思いますか。

前回、よみがえられた神の御子(イエス・キリスト)を、自分の主、自分の救い主として信じる人には、聖霊なる神が賜物としてその人の内に住んでくださるようになることを見ました。イエスは今も生きていて、イエスの「いのち」が信仰者を満たします。信仰者は、聖なる都、エルサレムの外で十字架にかかったキリストの犠牲のゆえに、すべての罪が赦されています。そして「キリストにあって」、神の霊の住む宮(あるいは家)として、新しい歩みを始めます。それは「イエスのように生きる」歩みであり、また、死や、死後のさばきを恐れることから解放された、喜びの歩みです。

信仰者が招き入れられた、神との新しい関係、神との「内の交わり」は、神と自分の間だけの個人的なものではありません。信仰者は新しい家族に迎え入れられました。これを聖書は「教会」と呼んでいます。聖書の言う教会は建物ではなく、そこに属する人たちのことです。神によって「世」から召し出され、ともに神を礼拝し、神に仕えるように集められた人たちが、教会なのです。

イエスを信じる人たちに宛てて書かれた手紙には、教会について色々と書かれています。次の聖書箇所も、そのひとつです。

あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。使徒たちや預言者たち1という土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

新約聖書・エペソ人への手紙2章19-22節
  • この箇所は、信仰者とイエスの関係について、何と言っていますか。
  • この箇所は、信仰者同士の関係について、何と言っていますか。

前回、イエスを信じた一人ひとりが聖霊の宮である、という聖書箇所を見たのを覚えていますか。上の聖書箇所ではそれに加えて、信仰者が集合体として、ともに「聖なる宮」、「神の御住まい(家)」となると書いてあります。教会は、大多数の人が神を拒絶しているこの世にあって、目に見える、生きた「内の交わり」の現れなのです。

イエスを信じた人たちは、そのうちに「クリスチャン(キリスト者)」と呼ばれるようになりました。これは当初、教会の敵だった人たちによって使われた侮蔑の表現だったのですが、時が経つにつれ、イエスに従う人たち自身が、自分たちのことを「クリスチャン」と言うようになりました。クリスチャンとは、「キリストにある」人たちのことです。聖書は、クリスチャンがもっているイエスとの特別で親密な関係を、よく「キリストにある」という表現で言い表します。聖書は、教会におけるクリスチャン同士の関わりについて多くのことを教えています。次の箇所もその一例です。

ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

新約聖書・コロサイ人への手紙3章12-15節
  • この箇所によれば、聖い生き方をする理由や動機として、何が挙げられていますか。
  • 神に「内の交わり」に入れてもらうために、聖い生き方をしなければいけない、聖書には、聖い生き方のルールや条件が書いてあるのだ、と考える人がいます。この考えは、聖書の伝える「良い知らせ」(福音)を誤解していると、なぜ言えるでしょうか。
  • 教会の経験はありますか。この箇所に書かれているようなところでしたか。なぜそう思いましたか。あるいは、なぜそう思いませんでしたか。

クリスチャンは、他のクリスチャンと「神の家族の兄弟姉妹」という新しい関係を築き、楽しむことができます。兄弟姉妹でともに集まり、一緒に神を礼拝し、互いに愛します。でも、それだけではありません。クリスチャンは、イエスの良い知らせ(福音)を周りにいる人たちに伝えていくよう、外に遣わされてもいくのです。エデンの園の境界を段々と外に広げていき、地球全体を神の聖なる宮にするように命じられていた、創世記のアダムとエバに通じるところがありますね。

復活の後、イエスご自身が使徒たちに次のような命令を与えました。この命令は、今日の教会全体にも与えられていると理解することができます。

ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

新約聖書・マタイの福音書28章19-20節
  • 「あらゆる国の人々を弟子としなさい」という命令を、どのように理解しますか。
  • 今日、教会はこの命令をどのように実践しているでしょうか。

おわりの質問

  • イエスは、教会に属し、バプテスマ(洗礼)を受けるように命じています。この命令に、あなたはどのように答えますか。

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脚注

[1] 使徒とは、直接イエスによって任命された使者のことで、イエスの権威をもって教えました。預言者は神のことばを神の民に語りました。使徒のことばと預言者のことばは、聖書に記されています。彼らのことばに神の権威があるので、「聖書は書かれた神のことばである」と言えます。聖書が言っていることは、神が言っているのです。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

冊子説明動画⑨教会

この動画では冊子9ページ目の内容を掘り下げ、教会について考えます。また、神と人との関係について、日本人に多い考え方と聖書の教えを比較してお話しします。