約束の成就

約束を果たすために神が大胆に動かれたのは、今から約2000年前のことです。

新約聖書に、神は「人となって私たちの間に住まわれた」と書いてあります(新約聖書:ヨハネの福音書1章14節)。父なる神に遣わされて、子なる神がこの地上に来られたのです。永遠の神が血肉をもった人となり、歴史の中で生きたと聖書は言っているのです。

子なる神が「内の交わり」を内で楽しむのを中止して、わざわざ人となって外の世界にやって来たのは、外にいる人を愛し、神との「内の交わり」に招くためでした。この「人となった神」がイエス・キリストです。2000年前の人たちは、このイエスをどう思ったのでしょうか。招きに応えて、神との「内の交わり」を回復したのでしょうか。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

第6回:約束の成就

はじめの質問

  • もし神が地上に来られるとしたら、どのように「現れる」と思いますか。

前回のテーマは、神が罪人に示される「恵み」でした。神はアダムとエバに、彼らの犯した罪に見合う罰(当然の報い)を課されませんでしたね。むしろその代わりに、神はアダムとエバが受けるに値しない祝福を与えてくださったのでした。どのような祝福だったか、覚えていますか。

特に、アダムとエバの子孫のひとりが、いつの日か蛇の頭を打つという恵みの約束がありました。「蛇の頭を打つ」ことは、本来アダムがすべきでしたが、アダムはこれに失敗したのでしたね。創世記3章15節の約束は聖書の中で最初に語られる「福音」(良い知らせ)です。古代世界では、「福音」は偉大な勝利の宣言を意味していました。聖書の福音も、勝利を告げています。この勝利をもたらす最終的な出来事が、長い聖書のストーリーの中心にあると言ってよいでしょう。今日は、長きにわたって綿密に進めてこられた神の計画が、どのように最終段階に移されたか、見てみましょう。創世記の出来事から何千年も飛ばして、新約聖書を読みたいと思います。新約聖書はすべて紀元1世紀に書かれました。いつか、この学びで飛ばした旧約聖書の大部分を含め、聖書全体を読めると良いと思います。そうすれば、聖書全体が、いかに調和がとれていて、首尾一貫しているかがわかるでしょう。

しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。

新約聖書・ガラテヤ人への手紙4章4-5節
  • この箇所では、神が「時が満ちて」行動を起こされたと書いてあります。この表現から何がわかりますか。
  • 創世記の「恵みの約束」が成就したことが、この聖書箇所のどんなところからわかりますか。

上の聖書箇所で、神が御子を遣わしたとあります。遣わされた人は明らかに特別な人です。このバイブルスタディで、聖書の神は「三位一体」の神だと学んだのを覚えていますか。神はおひとりですが3つの位格で存在し、各位格のあいだで愛の交わりを永遠に持っておられるのでしたね。神によってこの世界に遣わされた人は、神ご自身に他なりません。約束を成就するために、父なる神が子なる神を地上に送ったのです。子なる神は、それまで神の中で持たれていた「内の交わり」の外へと出てこられたのです。

……悪魔は初めから罪を犯しているからです。その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました。

新約聖書・ヨハネの手紙第一3章8節
  • この聖書のことばを見ると、神の御子はある目的をもってこの世界に来たことがわかります。ここでも、創世記で神が与えた約束との関連が見て取れますか。
  • 創世記で学んだことを振り返ってみてください。「悪魔のわざ」は何を意味すると思いますか。

聖書によれば、この「神の御子」が私たちの世界に来たのは、歴史のある時点、ある特定の場所においてでした。これは単なる神話でも、宗教的な意味が隠された寓話でもありません。私たちは実際に血肉をもって現れた歴史上の人物について話しています。今から約2000年前にユダヤ人の大工の息子として生まれ、私たちが「ナザレのイエス」として知っている人物こそ、「神の御子」です。

イエスの親しい友であり弟子であったヨハネという人が、イエスと寝食をともにしたときのことを目撃証言としてまとめています。ただヨハネは、イエスの話をイエスの誕生から始めませんでした。ヨハネは神の御子を「ことば」と呼び、こんな風に語り始めました。

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。[……]ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

新約聖書・ヨハネの福音書1章1-5, 14節
  • 「初めに」と言って、ヨハネは何を意味していたと思いますか。創世記の1章1節は「はじめに」と平仮名で書かれています。日本語の聖書で、なぜここは漢字になったと思いますか。
  • 「ことば」(神の御子)は何を捨てて人となられましたか。
  • この聖書箇所では、「ことば」(神の御子)は何をしたと書いてありますか。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とありますが、この「住まわれた」は、聖書のもとの言葉(ギリシャ語)で「テント(幕屋)を張られた」という意味です。これにはふたつの意味があります。ひとつは、「ことば」がこの世界に一時的に住まわれた、ということです。もうひとつは、聖書では「幕屋」は神と人が会う場所だということです。イエスが「テント(幕屋)を張られた」と書くことで、ヨハネは創造主なる神が被造世界に入って来られたことを強調しているのです。次回、私たちの世界に来られた神に何が起こったのか、見ていきましょう。

おわりの質問

  1. 神が私たちの世界で生まれたという聖書の主張をどう思いますか。
  2. 太古の昔に、女の子孫が悪に打ち勝つという約束がなされました。イエスはどのように悪に打ち勝つと思いますか。

第6回の漫画を見る

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

冊子説明動画⑥約束の成就

この動画では冊子6ページ目の内容を掘り下げます。歴史の大転換点であるイエス・キリストの誕生について、ヨハネの福音書の冒頭から考えます。また、「myうちそと」総合ウェブサイトに載っている関連メディア『漢字の向こうに聖書が見える』についてもお話します。